1980年代、日本は「無敵」に見えた。
1980年代後半、日本は世界から「経済の奇跡」と呼ばれました。
株価は上がり続け、日経平均は1989年に38,957円を記録
地価も異常に上がり、東京の山手線内の土地価格だけでアメリカ全土が買えるとまで言われた
経済成長、資産バブル、個人投資熱…すべてがピークに達していました
なぜ、ここまで異常なバブルが起きたのか?
その裏には、非常にシンプルな構造がありました。
銀行は「預金の1000倍」を貸していた時代
バブル期、日本の銀行は、預かったお金の1000倍もの金額を企業や不動産業者に貸し出していたと言われています。
これは、金融のルールが今よりはるかに緩く、貸し出しの上限が極めて高かったからです。
簡単に言えば、
銀行が「貸せば貸すほど」景気が回り、資産価格が上がり続けた
という仕組みです。
つまり、バブルとは、
実体経済が成長した結果ではなく、
銀行がひたすら貸していた結果だったのです。
そして突然、「貸せなくなった」
ここで登場するのが、BIS(国際決済銀行)です。
BISは、各国の中央銀行が加盟する「中央銀行の中央銀行」とも呼ばれます。
スイスのバーゼルに本部があり、国際的な銀行規制の枠組みを定めています。
BISが定めた新たなルール(バーゼルⅠ)
1990年代初頭、BISは世界中の銀行に対して、
自己資本比率を8%以上に保て
という国際的な統一ルールを導入しました。
これが、のちに「バーゼル規制」と呼ばれる基準です。
このルールが導入されたことで、日本の銀行は突如として、
「今までのようには貸せない」
「預金の1000倍どころか、自己資本の約12.5倍までしか貸せない」
という状態に追い込まれます。
クレジットクランチ(信用収縮)の発生
貸せない → お金が市場に流れない → 資産価格が下がる → 担保価値が下がる → ますます貸せない…
この負のスパイラルが、「バブル崩壊」の正体です。
「貸しすぎてバブルになった」のではない
「貸すのを止めたから崩壊した」のです。
銀行という存在は、経済の“血流”のようなものであり、
それを外部から止められたことにより、体全体(経済)が冷え込み、倒れていったのです。
本質的に理解すべきこと:景気は「貸すだけ」でよくなる
景気が悪いとき、複雑な経済政策や政治ではなく、
本当はとてもシンプルに、「銀行が貸す」だけで経済は回復する
つまり、経済の源泉は「信用」であり、
その信用を拡大する(=貸す)ことでしか、マネーは生まれないのです。
マネーとは、信用の派生形であり、銀行が「信用して貸した瞬間」に生まれます。
結論:バブル崩壊の真実は、ルールを変えられたことだった
バブルが弾けた理由は、投機でも、狂気でもありません。
ただ「ルールが変わり、貸せなくなった」だけです。
そしてそれは、日本の国内政策ではなく、
BISという“見えない国際的権力”によってコントロールされていたという事実。
このことを知るだけで、
今の経済も、金融も、景気も、シンプルに理解できるようになります。
補足:その後の日本と世界
バブル崩壊後、日本は「失われた30年」と呼ばれる長期停滞に入ります
銀行は不良債権を抱え、貸すことを恐れ、企業も投資しなくなりました
一方アメリカは、金融緩和と貸出強化で再成長を果たしました(が、2008年リーマンショックへ)
経済は複雑ではありません。
お金が回らないのは、貸していないから。
貸せないようにされたなら、経済は止まる。
これが、日本のバブル崩壊の本質です。